雉虎猫はアルペジオの夢を見るか?                          

ハッピー バースデー トゥ ミー

またまたご無沙汰してしまいました。

あいかわらずひっそりと生きています。

 

さて先日、誕生日を迎えた。

例年のわたしなら、

「誕生日なんて毎年来るもんだし、この歳でお祝いもないだろう」

なんて感じで、たいしたことはしなかっただろうし、実際たいしたことはしてこなかった。

だが、今年は知命(満年齢でだが)、ジャスフィフだ。

 

……50歳。

 

……誰が?

 

と、すっとぼけたところで何も変わらないが、精神年齢が中学生の頃から代わっていないと感じるわたしとしては、まるで他人の年齢のようで、肉体年齢との乖離の大きさにおののいてしまう。

倍にすると100歳だ。

49歳の時は倍にしても98歳だから、もしかしたらまだ生きているんじゃないかとも思えたけど、“100歳”となると途端に無理そうな気がするのはなぜだろう? “98(キュッパ)”のお得感倍増みたいなものか?

それに関しては後日考察することにして、ともあれ人生の折り返し地点は(とっくに)過ぎてしまったと思われるわけで、あとはゴールに向かってまっしぐら、なわけだ。

ゴール直前で

「わたしはこの人生で何を残したのだろう?」

という問いに、胸を張って答えられるものがあるのだろうか?

 

……ちょっと暗くなりそうなので、仕事の邪魔をする一輝を載せて、今回はおしまい。

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